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まちのじゃんぐるーにっかんし 街のジャングル−日刊紙
フォロンは、「私はただ、私自身の夢をとどめようと試みてきた」と語っているが、確かに彼の作品は夢に満ちている。海に沈む太陽が海面にハート型の影を映したり、ギターの弦が七色の虹になるなど、幻想的でありながらやさしい気持ちをかきたてる作風である。イラストレーションから出発して、版画、水彩画、ポスターや映画、テレビなど幅広い分野で活躍するフォロンは、現代人に受け入れられる夢の世界をよく知っている。しかし、それだけでなく、この作品のように風刺をピリッときかした表現もある。新聞を広げて走っている人物は、頭から色々な方向を向いた失印をつき出している。新聞などの伝える情報は人を導くものだが、多過ぎるとかえって迷ってしまうこともある。このような現代社会にある矛盾を、ユーモラスに描き出している。深刻な身振りでなく、楽天的に表すところが、夢の世界とも結びつく彼の表現の特徴と言えるだろう。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年11月15日掲載)
カテゴリー:作品
山本鼎とは?【 作家名 】 1882年愛知県に生まれる。1906年東京美術学校西洋画科選科を卒業し、翌年石井柏亭、小林未星らと雑誌『方寸』を創刊する。1912年渡欧、1916年帰国、翌年日本美術院洋画部同人となる。1918年戸張孤雁と日本創作版画協会を創立して創作版画の発展につくし、翌年長野県小県郡神川村に日本農民美術研究所を設立。また自由画運動を推進するなど多方面に功積を残した。1920年日本美術院を脱退、翌年自由学園美術部教授となる。1922年春陽会創立に参加して会員となったが、1935年帝国美術院参与に推されて春陽会を脱会するが、1943年春陽会に復帰。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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