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はんがしゅう<こいびとたち>12はだかにされたはなよめ せかんど・すてーと 版画集〈恋人たち〉12. …裸にされた花嫁 セカンド・ステート
第一次大戦頃より起こったダダの運動は、芸術のあらゆる分野において見られた。人々のこれまで培ってきた認識や秩序を破壊し、改めて芸術の存在を世に問う大きなうねりであった。デュシャンは美術において、このダダイスムの先導者的役割を果たした人物である。例えば彼は、レディ・メイドの便器を美術館に据え、「泉」と題して人々を仰天させたし、「モナ・リザ」に髭を描き加えて、子供の悪戯のような作品を示した。さて、この作品に描かれているのは「裸にされた」女でしかも彼女は花嫁であるという。美しい花嫁衣装を剥がれた裸体を少しでも人目に晒すまいと、まだ未熟な身体をかばうように寝台にうずくまる姿態。細い肩、小さな腰が不安な心を巧みに表現し、その周りには真綿のように優しい空間が彼女を繭のようにくるんでいる。この繭の中から現れるのは、透ける美しい羽をもつ蝶のような、一人の成熟した女性なのであろうか。(吉原美惠子「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年05月09日掲載)
カテゴリー:作品
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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