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はんがしゅう<せきはんがしゅうてんよりせんより>5せんより1 版画集〈石版画集 点より 線より〉5. 線より1
韓国で生まれた季禹煥は、1950年代半ばに来日し、以後日本を創作の場にして活躍している。一見すれば、彼の作品の多くは、キャンバスに線を並べ、点を打ったものに過ぎないと思えるかも知れない。しかし、書道や水墨画の伝統を持つ私たちにとって、かすれや、しみを伴い、筆勢に様々な表情を持つ線や点の表現は、なじみ深く感じられるのではないだろうか。この石版画でも、しみや線の重なりから、豊かな表情を読みとることができるはずである。しかも彼は、作品の理解に解答を出すことを求めず、これを見た人の、作品との「出合い」と幅のある感じ方を大切にしようとしているのである。季は、一部の現代美術が、あまりにも概念的であったり、生身の人間の感情や観念からかけ離れている状況に批判を加え、東洋の伝統に注目しながら、より現代にふさわしい美術を求めて独自の表現を追求している。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年09月13日掲載)
カテゴリー:作品
荒井寛方とは?【 作家名 】 1878年栃木県に生まれる。町絵師荒井藤吉の長男、本名寛十郎。1899年(明治32)上京し、水野年方に入門。鏑木清方、池田輝方、大野静方とともに年方門の四天王と称される。絵画共進会、東京府観業博覧会に入選し、また国華社に入って古美術の模写に才能を発揮する。1907年の第1回文展に入選し、ついで第2回、第3回で連続して3等賞を、第4回、第5回で褒状を受けた。1914年(大正3)に日本美術院が再興されると出品し、第1回展で院友に第2回展で同人に推挙された。来日したタゴールの求めに応じて1916年インドに渡り、足かけ3年にわたって絵画教師としてベンガル地方の文芸復興運動に寄与した。一時院展内部にインド派的傾向を醸成させるが、後に日本回帰し、独自の仏画のスタイルを完成させた。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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