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はんがしゅう<だふにすとくろえ>09くろえのせっぷん 版画集〈ダフニスとクロエ〉9.クロエの接吻
古代ギリシャの詩人ロンゴスの物語に挿絵をつける依頼がテリアードからあったのは一九四九年のこと。ためらったシャガールが引き受けることにしたのは一九五二年。以来、二度のギリシャ取材と大量のデッサンを積み重ねて原画ができたのが一九五六年。ムルロ工房でのリトグラフの刷り作業には十八から二十色もの色数を使い何度も修正を繰り返したという。企画から数えて約十二年を費やして出版されたのがこの〈ダフニスとクロエ〉である。二人の捨て子ダフニスとクロエの出会いから結婚までの愛の物語は、春に始まり秋に終わる。生命の誕生から成熟までを暗示するこの美しい物語を、シャガールは互いに薄く重なり合ったリトグラフならではの柔らかく繊細な画面で彩っていく。挿絵本の王道を行く傑作。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
紫派とは?【 美術用語 】 黒田清輝を中心として形成された明治期の洋画の傾向とその画家たちを指す。ラファエル・コランに学んで1893年帰国した黒田は、印象派の技法と伝統的な主題を折衷したサロン系の外光表現を日本に伝えたが、それまで日本の画壇は脂派と呼ばれる褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色と黒で描いた暗く脂っぽい表現が主流となっていたため、黒田の明るく感覚的な外光描写は若い画家たちに清新な感動をもって迎えられた。黒田は久米桂一郎とともに天真動場、次いで白馬会を創立し、また東京美術学校教授として後進の指導にあたり、それらの活動を通じて外光描写は当時唯一の官展であった文部省美術展覧会(文展)の画風を支配するに至った。名称の起りは、陰の部分を青や紫で描いたことを、脂派に対して正岡子規が紫派と揶揄したことによる。ほかに脂派との対比から新派、南派、正則派とも呼ぶ。 |
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