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はんがしゅう<だふにすとくろえ>09くろえのせっぷん 版画集〈ダフニスとクロエ〉9.クロエの接吻
古代ギリシャの詩人ロンゴスの物語に挿絵をつける依頼がテリアードからあったのは一九四九年のこと。ためらったシャガールが引き受けることにしたのは一九五二年。以来、二度のギリシャ取材と大量のデッサンを積み重ねて原画ができたのが一九五六年。ムルロ工房でのリトグラフの刷り作業には十八から二十色もの色数を使い何度も修正を繰り返したという。企画から数えて約十二年を費やして出版されたのがこの〈ダフニスとクロエ〉である。二人の捨て子ダフニスとクロエの出会いから結婚までの愛の物語は、春に始まり秋に終わる。生命の誕生から成熟までを暗示するこの美しい物語を、シャガールは互いに薄く重なり合ったリトグラフならではの柔らかく繊細な画面で彩っていく。挿絵本の王道を行く傑作。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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