1901年東京都に生まれる。1921年第一高等学校を卒業して東京帝国大学哲学科に入学。同年
ベルリンに留学するが、同地で画家に転じる。1923年帰国後「意識的
構成主義」を主張し、柳瀬正夢、尾形亀之助らと「マヴォ」を結成、はなばなしい活動を開始した。翌年三科造形美術協会結成に参加。1924年、築地小劇場でカイザー作『朝から夜中まで』の舞台装置を担当して注目され、演劇の道に進む一方、日本プロレタリア文芸連盟、日本プロレタリア美術家同盟に所属し、機関誌などの表紙のポスターを描く。1959年薄田研二の中央芸術劇場と合同して東京芸術座を創立し、劇団演出家となる。(「みづゑのあけぼの
三宅克己を中心として」図録 1991年)