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はんがしゅう<どりあん・ぐれいのしょうぞう>01にじいろのすかーふのどりあんぐれい 版画集〈ドリアン・グレイの肖像〉1. 虹色のスカーフをつけたドリアン・グレイ
オスカー・ワイルド原作の『ドリアン・グレイの肖像』の舞台用の脚本である。せりふの部分はタイプラターで打たれ、そこにダイン自筆の書き込みが記入されている。それらと、舞台衣装などのスケッチや版画が合わせて綴じられている。版画は十二点入っており、そのうち六点が別刷りで付いている。演劇というのは文学、音楽、舞踏、美術という要素が込められた一種の総合芸術でもある。ジム・ダインは、それを本という形式を用いて、さらに集約して作品化した。アーティスツ・ブックスの出版を得意とするロンドンのペテルブルグ社より出されている。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
ココシュカとは?【 作家名 】 1886年ニーダーエスタライヒ州のペヒラルンに生まれる。1905年、ウィーンの工芸学校に奨学生として入学。1907年からウィーン工房で働くようになり、1908年、自作の詩にクリムトへの献辞と8枚のリトグラフをつけた絵本『夢みる少年たち』をウィーン工房より出版する。同年と1909年の「クンストシャウ」に出品する一方、ポスター・デザインなども行っている。また1908年には戯曲『殺人者、女たちの希望』を執筆しており、グラフィックと文学を統合した、ウィーンでは独自の表現主義的な活動を始める。この頃、A.ロースと親交を結び、ロースの勧めで肖像画を多く描くようになる。1910年には、ベルリンで創刊されたばかりの『デア・シュトゥルム』の「今週の顔」欄の人物画を担当する。第一次世界大戦で重傷を負いその後1919−24年までドレスデンのアカデミーで教鞭をとる。ナチス政府主催の「退廃芸術展」(1938年)に自分の作品が出品されるとイギリスへ亡命、その後も世界各地を巡り精力的に制作活動をする。1953年にはザルツブルグに「視るための学校」を開設し、以後10年間そこで教える。1980年スイス、モントルーで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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