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はんがしゅう<えるされむのこうりゃく>2.ずがいこつのあるせいぶつ 版画集〈エルサレムの攻略〉2.頭蓋骨のある静物
マックス・ジャコブのマトレルの物語3部作の最後を飾る作品である。出版はカーンワイラーから。刷りはドラートル。ピカソは1912年の終わりにカーンワイラーと3年間の専属契約を結んでいる。ちなみに第2作は<修道士マトレルのおかしくも神秘的な作品>。これはアンドレ・ドラン(1880-1854)による66枚の木版画による挿絵がつけられて1912年に出版されている。<エルサレムの攻略>はマトレルの天国での物語で、3幕ものの芝居仕立てとなっている。あらゆる時代、場所から来た登場人物や、神秘的で象徴的な出自をもつ生き物たちが、恐怖におののく貧しきマトレルのまわりで、天国エルサレムを征服するための戦いを繰り広げていく。ピカソの挿絵は各場面に1枚ずつえがかれたが、そこには詩の場面やキャラクターは登場しない。ジャコブの詩のやや難解で暗示的なイメージから触発された、キュビスムのイメージが生まれている。1枚目と3枚目は女性の姿である。ここでは<聖マトレル>でのレオニー嬢のような線主体の表現ではなく、細かい線による陰影を生かした面的な表現を見せている。2枚目は、画面左上部に細長く角ばった頭蓋骨が見える。陰影は控えめにして、繊細なドラポイントの線で仕上げられている。(「変貌するひとのすがた ピカソの版画」(コレクション+αで楽しむシリーズ)図録 2006年)
カテゴリー:作品
ガボとは?【 作家名 】 1890年、ロシア、ブリアンスクに生まれる。本名ナウム・ネーミャ・ペヴスナー。アントワーヌ・ペヴスナーは兄。1910年、ミュンヘン大学の医学生となるが、12年に工学に転向する。また、ヴェルフリンの美術史の講義を聴く。1913年から14年にかけて、パリにいる兄ペヴスナーを訪ね、アーチペンコ、グレーズなどキュビストと知り合う。1914年頃から制作を始めるが、同年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツとロシアが敵国となったため、ミュンヘンからコペンハーゲンに移り、その後オスロに移り、大戦中は兄とそこで過ごす。この時期に、兄を通じてロシアの構成主義を知り、キュビスム風の具象的な作品から、幾何学的な構成へと変化する。1917年、兄と共にロシア革命後のソヴィエトに戻り、モスクワでタトリン、マレヴィッチ、カンディンスキーらと交流するが、しだいにタトリンらの有用性を重視した芸術観との間の意見の相違を見る。1920年ペヴスナーと「リアリズム宣言」を出す。1923年にはベルリンに移り、ナチスによるアトリエ襲撃のあった32年までそこで住み、バウハウス関係者らと交流する。1946年、アメリカに渡り、制作を続けた。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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