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じんぶつ 人物
画面全体に縦横無尽に線が走り回っているが、ここには人物が表現されている。タイトルの別称は〈低いテーブルのある、ソファの上の二人の裸婦〉。画面右上に一人の人物の小さな頭がある。もう一人の人物の頭は左上に大胆にデフォルメされて描かれている。その他の人体の部分については、どれがどの人物のものかは明確ではなく、入り組んでいる。また、体のプロポーションも大幅に変更されており、特に目立つのが、頭の小ささにくらべて足が異様に大きいという点である。また、画面左、上、右下等に模様が刻まれているが、これは二人の裸婦が座っているソファを表すものと思われる。特に曲線の多用が目につくが、それはキュビスムの中でも自然主義的な物の形態が復活していた1910年代後半から20年代初頭の総合的キュビスムのうちで、後半の時期にも見られる傾向である。またこの時期は新古典主義の時期とも並行するが、そのなかに見られる丸みを帯びたモニュメンタルな人体表現にも曲線の使用の要素が見て取れる。それと同時に、極端にデフォルメされた怪物のような、あるいは病的にも見える痙攣するような人体表現が印象的である。1920年代半ば以降に決定的な展開を見せた、ピカソの作風変化をよく表している。銅版画の技法に習熟し、エッチングの自在で柔らかい線の効果が十分に発揮された、シュルレアリスムとの関連を思わせる、40代半ばのピカソ円熟期の作品である。(「変貌するひとのすがた ピカソの版画」(コレクション+αで楽しむシリーズ) 2006年)
カテゴリー:作品
ハンス・リヒターとは?【 作家名 】 1888年、ドイツに生まれる。1908年から09年にかけて、ベルリンの美術アカデミーとヴァイマルの美術学校で学ぶ。「シュトゥルム」や「アクツィオーン」などのグループを通じて、ドイツ表現主義を知る。第一次世界大戦中は従軍するが、1916年に負傷して除隊、チューリッヒにて、ツァラやアルプらと共にチューリッヒ・ダダを始める。1919年、ベルリンに戻り、絵画の音楽化を目指して、21年に最初の抽象映画〈リズム21〉を制作する。この後、ガボ、リシツキーらロシア構成主義者やモンドリアン、ドゥースブルフらザ・スティルの人々と交流を深める。形と色という基本要素をもとにした抽象的な作品を制作する一方で、盛んに映画制作に取り組む。1926年の〈映画研究〉、27年、最初のシュルレアリスム映画の一つといわれる〈午前の幽霊〉などが有名である。ナチスの台頭と共に1931年、早々とドイツを逃れ、主としてフランスとスイスに住む。1941年、自由な制作を求め、アメリカに亡命する。翌年にはニューヨーク市立大学の映画研究所の所長に迎えられた。1944年から47年にかけて映画〈金で買える夢〉をエルンストらの協力により制作した。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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