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ふたりのじんぶつ 二人の人物
画面全体に蜘蛛の巣のような網目模様が走り回っている。これは1938年に集中してみられる特徴である。一見二人の人物が左右に配置されているように見えるが、同年の関連する素描などと比較すると(クリスチャン・ゼルヴォスのピカソ作品総目録vol.9、No.200、227等)、中央のアーモンド型の形態とその上部にある内部が放射状になった二つの円形が女性の体と胸に見えなくもない(※)。さて、この作品もまた、制作された1938年(ラクリエール工房刷り)には発行されず、42年にピカソとヴォラールの透かしの入った紙に29点刷られたあと(ラクリエール工房刷り)、1960年に刷り師フレロによる5点の試し刷りを経て、ルイーズ・レイリス画廊から出されたのは、ピカソの死後となる1980年のことであった。(※この点については、拙論「ピカソの網目模様風あるいは籠編み風の作風をめぐる一考察」『徳島県立近代美術館紀要 第3号』1995年3月 を参照いただきたい。)(「変貌するひとのすがた ピカソの版画」(コレクション+αで楽しむシリーズ)図録 2006年)
カテゴリー:作品
アペルとは?【 作家名 】 1921年オランダに生まれる。2006年没する。1940年から43年にかけて、国立美術アカデミーで学ぶ。1946年にはオランダで初個展を開き、パリのサロン・ド・メにも出品。1948年にはアレシンスキー、コルネイユらと共に、コブラ(参加した画家達の出身地コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をつなげたもの)を結成する。戦後の抽象における表現主義的傾向を代表するこのグループは、個人的幻想を直接に表現しようとした。アペルは、ナイフで絵具をキャンバスに叩きつけたり、ひきずったりして描いた。民族芸術や子供の絵にも興味を示し、色や線というよりは創造行為の熱っぽさを反映した荒々しいイメージを重視した。アンフォルメルや、日本の具体グループ、またアメリカの抽象表現主義との関わりもよく指摘されるところである。1954年にはベネチア・ビエンナーレで奨励賞を受賞、58年にはパリ、ユネスコ本部の壁画も手がける。また世界各地で個展が開かれている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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