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ふたりのじんぶつ 二人の人物
画面全体に蜘蛛の巣のような網目模様が走り回っている。これは1938年に集中してみられる特徴である。一見二人の人物が左右に配置されているように見えるが、同年の関連する素描などと比較すると(クリスチャン・ゼルヴォスのピカソ作品総目録vol.9、No.200、227等)、中央のアーモンド型の形態とその上部にある内部が放射状になった二つの円形が女性の体と胸に見えなくもない(※)。さて、この作品もまた、制作された1938年(ラクリエール工房刷り)には発行されず、42年にピカソとヴォラールの透かしの入った紙に29点刷られたあと(ラクリエール工房刷り)、1960年に刷り師フレロによる5点の試し刷りを経て、ルイーズ・レイリス画廊から出されたのは、ピカソの死後となる1980年のことであった。(※この点については、拙論「ピカソの網目模様風あるいは籠編み風の作風をめぐる一考察」『徳島県立近代美術館紀要 第3号』1995年3月 を参照いただきたい。)(「変貌するひとのすがた ピカソの版画」(コレクション+αで楽しむシリーズ)図録 2006年)
カテゴリー:作品
マティスとは?【 作家名 】 1869年フランスに生まれる。1954年没する。はじめは法律を学ぶが、まもなく画家を志す。22歳からパリでギュスターヴ・モローの指導を受け始める。この頃、ルオー、マルケ、ピサロらと知り合う。また、ルーヴル美術館で名作の模写を多数行う。1903年のサロン・ドトンヌ設立に参加する。1905年の同展では、ドラン、ヴラマンク、ルオーらと共に、その大胆な色彩と激しい筆致が注目を集め、半ば嘲笑を込めて「フォーヴ」と呼ばれた。1909年にロシアのシチューキン家のために大作〈ダンス〉を、また32年にはアメリカのバーンズ財団のために壁画〈ダンス〉を制作するなど、各地で活躍する。また1921年からは、パリとニースを往復する生活を送る。1940年のパリ陥落の後、ブラジルの渡航を試みるものの南仏に留まる。戦後も、切り絵、挿絵本、タピスリーなど幅広い活動を続け、特に南仏ヴァンスの礼拝堂の装飾は、彼の才能の集大成と言われる。20世紀美術においてピカソと匹敵する成果を残した一人といえるだろう。 |
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