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あさだ ひろし 麻田浩
1931年京都府に生まれる。1997年没する。はじめ油絵を制作し、1954年から新制作協会展に出品、62年新作家賞を、67年協会賞を受賞して68年会員となる。1971年初めての個展を開催し、シェル美術賞展、安井賞展などに出品した後パリに移り、72年フリードランデルのもとで銅版画をはじめる。1974年カーニュ国際絵画フェスティバルプリナショナル賞、76年オステンド・ヨーロッパ絵画賞第2席、77年カンヌ国際版画ビエンナーレ1等賞などを受賞し、版画家としての国際的な評価を確立する。ベルギー文化省、フランス文化庁などに作品が買い上げられ、内外の美術館に作品が収蔵される。水滴や地表面など微細なものを凝視し、各種の銅版画技法を活用した密度の高い心象風景を描き出すことで知られる。新制作協会のほかサロン・ドトンヌ、サロン・ナショナル・ド・ボザールに所属、京都市立芸術大学で後進の指導にあたった。
カテゴリー:作家
結城正明とは?【 作家名 】 越中(現富山県)富山に金沢藩士の子として生まれる。安政年間に江戸に出て、木挽町狩野家の狩野雅信に入門する。狩野芳崖、橋本雅邦、木村立嶽は同門。万延年間の江戸城本丸御殿再建に際して、雅信のもとで障壁画等の制作にたずさわった。明治維新後、狩野派の苦境から一時会計事務の仕事などを行うが、銅版画を学びはじめ、明治10年(1877)の第一回内国勧業博覧会では銅版画で受賞した。この頃、銅版画地図の制作にもあたる。明治17年(1884)に結成された鑑画会に加わり、翌年の第一回展に出品。東京美術学校が開設されると日本画科教官となり、明治24年(1891)助教授。自宅の画塾では、美術学校へ入る前の横山大観、菱田春草を指導した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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