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はんがしゅう<りゅうさ>01 しごとをするちょうこくか 版画集〈流砂〉I 仕事をする彫刻家
ピカソにおける「画家とモデル」のテーマは、バルザックの小説『知られざる傑作』に寄せた挿絵本(1931年刊)や、<ヴォラール・シリーズ>(1930-37年)のなかに、アトリエの画家や彫刻家とそのモデルとして登場しているし、1950年代にも年老いた画家のアトリエでの情景を描いたりしていたが、1963、64年ころから、絵画、素描、版画と表現手段を問わず、大量に制作されるようになり、これは1973年にピカソがなくなるまで継続された。そして、多くの作品には制作の日付が記入されるようになっていく。このテーマの作品として版画では、1968年の3月から10月にかけて制作された<347シリーズ>、引き続き1972年3月まで続けられた<156シリーズ>が特に知られているが、この<流砂>にも、そのテーマが色濃く反映している。<流砂>は1960年に亡くなった詩人ピエール・ルヴェルディの最後の作品に、友人だったピカソが挿絵を寄せたものである。作品は、1964年の2月と1965年の2、3月に制作されたものから、「画家とモデル」をテーマとしたものを中心に10点が選ばれた。出版はルイ・ブローダー、刷りは<347シリーズ>などを手がけたクロムランク工房。ここで用いられているアクアチントの技法はオーソドックスなものではなく、筆に酸をつけて直接腐蝕させたり(刷られる色は黒)、逆に版面に筆で防蝕液を塗ることで(刷られる色は白)、まるで筆で描いたような効果を出している。同じ「画家とモデル」扱った版画でも、たとえばエロチカと呼ばれることもある<347シリーズ>などが、エロティックな情景や欲望をストレートに表わしているのに比べ、これら、<流砂>の作品群は、画家自身の内面を覗き込むような繊細さを感じさせる。ルヴェルディは歌っている。「私は港を出る/狭い航路をとおって/そして私は死へともどってくるのだ、荷物ひとつ持たずに。」(※)晩年にいたるほどに自由奔放さを増して、制作点数も増え、精力的に活躍していったピカソだったが、それは反面、まるで何かに追い立てられていたようにも見える。生きた証を刻もうとするかのように執拗に日付を記入していった孤独なピカソの姿が、画面に描かれた画家の姿と重なって見えてくるようである。※ Goeppert,Sebastian , Herma Goeppert-Frank and Patrick Cramer, eds. Pablo Picasso ,The Illustrated Books:Catalogue Raisonne. Geneva: Patrick Cramer,Publisher, 1983. p.328
カテゴリー:作品
モビルとは?【 美術用語 】 モビールは、アレキサンダー・コールダーの動く彫刻の総称で、スタビルは、コールダーの作品でモビールで無いものを呼ぶ。モビールは、1932年にコールダーがヴィニョン画廊で、手動式と電動式の動く彫刻を発表したとき、それらを指してマルセル・デュシャンが「モビール」と呼んだことに由来する。1930〜40年代には、電動式のレリーフや立体作品の他に、空気の流れと構成体自体の緊張関係、バランスによって静かに動くところに特徴を持つ宙吊りの金属板による構成体を作り、ふつうモビールと呼ばれるのはこのタイプの構成体のことである。またコールダー以外の作家にも、この種の原理を造形に用いた作家は多く、それらの動く作品についてもモビールと呼ぶことがある。スタビルは、1932年にモビールが発表された際に、ジャン・アルプが、それ以前にコールダーが作っていた動かない針金彫刻を一括してそう名づけたのが始まり。それ以来、コールダーの動かない鉄鋼彫刻もすべてスタビルと呼ばれている。 |
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