ぐるぐるアートワード
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山麓で羊といる少女



サン=ロック教会



サーレ



サー・ウィリアム・マクスウェル将軍の肖像



The Signified or If No.1



The Signified or If No.2



The Signified or If No.3



The Signified or If No.4



The Signified or If No.5



The Signified or If No.6



The Signified or If No.7



ザヴジェル



ザガッタ



雑誌「青騎士」



雑誌「自由」(ラ・リベルテ)



雑誌「微笑み」(ル・スリール)



雑誌「ル・ポンポン」



ザツキン



『ザ・ライフ・オブ・マン』



ザルテン


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はんがしゅう<りゅうさ>03 かがみのまえのふたりのおんな

版画集〈流砂〉III 鏡の前の二人の女

作家名:パブロ・ピカソ
制作年:1964年
技 法:アクアチント エッチング ドライポイント スクレーパー 紙
ピエール・ルヴェルディ著。一九六〇年に没したシュルレアリスムの詩人、ピエール・ルヴェルディの最後の詩にピカソが挿絵を寄せたもの。ピカソは一九五三年頃から、アトリエでの画家とモデルが繰り広げる様々な情景を、日記のように日付を記入しながら大量に制作する。〈流砂〉には、この「画家とモデル」をテーマとする作品のうち、一九六四年から六五年に制作された版画十点が収められた。全てのものがいつかは死に絶えるように、詩人にも必ず死は迫ってくる、こんな当たり前のことが、死に直面した詩人の胸をよぎった。空虚さを埋めようとして、ほとんど狂気ともいえるほど情熱的に生きてきたのは、なんと危なっかしいことだったのだろうか。私は港を出る/細長い航路をたどって/そして死に際して私は立ち戻るのだ、全てをはぎ取られた自分に/時に、ピカソは八十三歳から八十四歳。一つ一つ日付を書き入れ、性的な欲望よりもむしろ、禁欲的な緊張感さえ感じさせる画面に、生きてきた証をなおも刻みつけたいという、偉大なる老画家の孤独な意志が伺える。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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川端玉章とは?【 作家名 】

京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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