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はんがしゅうかべ06くちひげをはやしたひとのいるかべ 版画集〈壁〉6. 口ひげを生やした人のいる壁
詩人ギュイルヴィクの「壁」という詩に寄せた15点の版画である。壁の傷や人物を描き出す線は、落書き風を装いながらも、壁を引っかく時の物質の強い抵抗感を感じさせ、また遠近感のないモノクロの画面において、壁と人物は同化している。風雪に耐えて立つ壁に共感した作家の精神が表現されており、絵画の本質をえぐり出そうとしたデュビュッフェ初期の版画の代表作である。
カテゴリー:作品
瑛九とは?【 作家名 】 1911年宮崎県に生まれる。1960年没する。本名杉田秀夫。1925年上京し日本美術学校洋画科に入学、1927年美術評論を始め、美術学校を中退。1930年からフォト・デッサン(感光紙と光源の間に物体を置いて、カメラを用いず露光させる技法=フォトグラム)を試み、1936年瑛九の作家名で作品を発表、同年グループ「新時代」に参加。翌年日本美術家協会設立に参画、戦後にかけて油絵とフォト・モンタージュの作品を発表。1951年、協会を退会し、デモクラート美術協会を結成。1950年代からエッチング、続いてリトグラフの制作を開始する。1952年にフォト・デッサンの、57年にリトグラフの、60年に油絵の個展を開催した。1957年には第1回東京国際版画ビエンナーレ展に出品している。シュルレアリスム風のフォト・デッサン、豊かな色彩の抽象絵画で知られ、戦前から前衛美術の先駆者として活躍した。また、日本の現代版画の貴重な指導者として、池田満寿夫等の多くの後進に直接・間接の影響を与えた。 |
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