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はんがしゅうかべ07にんげんとかべ 版画集〈壁〉7. 人間と壁
詩人ギュイルヴィクの「壁」という詩に寄せた15点の版画である。壁の傷や人物を描き出す線は、落書き風を装いながらも、壁を引っかく時の物質の強い抵抗感を感じさせ、また遠近感のないモノクロの画面において、壁と人物は同化している。風雪に耐えて立つ壁に共感した作家の精神が表現されており、絵画の本質をえぐり出そうとしたデュビュッフェ初期の版画の代表作である。
カテゴリー:作品
ブリュッケとは?【 美術用語 】 1905年、ドレスデンでキルヒナー、シュミット=ロットルフ、エーリッヒ・ヘッケルらの表現主義的傾向の若いドイツ人画家たちによって創設された団体。1906年にはノルデ、ペヒシュタインが参加している。1910年には、ノルデの作品がヅェツェッシォーンに出品拒否をされたのをきっかけに、自由出品制の展覧会のための新しいグループを作り、「新分離派」と名のりベルリンに移動した。1912年には「青騎士」展に参加したりするが、1913年キルヒナーの書いた文章から意見の相違が生じ、分裂・解散した。「橋」を意味するグループ名は、彼らの作品が未来の芸術への架け橋になってほしいという願いからつけられたものであるが、その信条、目標は明確にされず、既成の古い力に対する反抗に重点がおかれ、ドイツにおける表現主義運動をつくった。このグループの仕事の中では、版画、とくに木版画の復興が評価され、二次元的平面性と、白と黒の対比による力づよい精神表現の可能性を追求し、高めた意義は大きいものがあった。 |
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