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まつもと しゅんすけ 松本竣介
1912年東京都に生まれる。1925年病のため聴覚を失う。1929年上京。1932年まで太平洋美術学校で学ぶ。1935年第5回NOVA美術協会展に出品して同人に推される。第22回二科展に初入選。以後二科展に出品をつづける。1941年『みづゑ』に「生きている画家」を発表し、同誌に掲載された「国防国家と美術」に反論。1943年靉光、麻生三郎らと戦争画にむかう時流に抗して新人画会を結成。1946年「全日本美術家に諮る」と題する美術家組合提唱文を各方面に配布し、日本美術会に参加、翌年自由美術家協会に参加する。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 |
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