![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ここのつのかお 九つの顔
ガイザーの版画作品総目録(I-No.438)によると、タイトルは「技術的な習作、九つの顔」となっている。その名の通り、銅版画のテクニックについての習作である。テクニックの違いを正確に見分けるのは難しく、詳細な記述がなされているガイザーの目録によっても詳細は不明である。基本はエッチングである。上部の3つの頭は、コットンを丸めた物で薄い防蝕液(グランド)の染みを作り、何らかの溶剤をしみこませたコットンを巻き付けた棒で繰り返しつついて傷を付け、ドライポイントのような効果を出す試み。真ん中の3つの頭は、独自の配合で薄めた防蝕液をぬった上を、防蝕液を含ませた筆で取り除く。一番下の左側は薄めた防蝕液とコットンを巻いた棒、そして普通のエッチングによるもの。その右側については不明。(※)ピカソの技術的な実験をかいま見ることのできる貴重な作例であり、人間という主題が重要な位置を占めているピカソ制作のことを考え合わせると、実験に使用されたイメージが人間の顔であることも興味深い。実験作だけに刷りの数は少なく、制作された34年にはわずか2点のみ刷られ、42年に5、6点刷られた。61年になって、ようやく69点刷られ、ルイーズ・レイリス画廊から発行されたのは1981年になってからである。ちなみに、この展覧会に出品されている徳島県立近代美術館所蔵の作品は、以前はドラ・マールが所蔵していたものであり、1942年に刷られたものの1点である。画面右下に「段階刷り」、左下に「ドラマールへ、ピカソ」という書き込みがある。※Geiser,Bernhard and Brigitte Baer, eds. Picasso Pentre-Graveur, Tome II. Berne:Editions Kornfeld, Reproduction:1990 by SPADEM,Paris and PRO LITTERIS, Zurich. p.318-319(「変貌するひとのすがた ピカソの版画」(コレクション+αで楽しむシリーズ)図録 2006年)
カテゴリー:作品
アレシンスキーとは?【 作家名 】 1927年ベルギーに生まれる。ブリュッセル装飾美術学校に学び、1947年に初個展を開く。この頃、マグリットらシュールレアリスト達とも出会う。1948年パリへ旅行した後、49年から3年間、カレル・アペルらと共に結成したグループ、コブラの最年少メンバーとして活躍する。第二次世界大戦後の抽象表現における表現主義的な傾向を代表するこのグループは、短命ではあったが、激しい筆触と鮮やかな色使いで、強烈な衝撃を各方面に与えた。彼自身は記号を重ねたり並べた画面を作った。1951年からパリに移住し、絵画のみならず、壁画、室内装飾、ポスター、映画、銅版画などにも取り組む。日本の書道にも興味を示し、森田子龍と交流する。1955年には来日し、子龍と共に映画〈日本の書〉を製作した。1965年にはアメリカを訪れ、ユダヤ美術館で個展を開いた。1977年にはメロン賞を受賞した。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||