![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
にしのはて 西のはて
ドイツに生まれたヤン・フォスは、1960年からパリに住み続けている。1960年代初頭、抽象表現主義的な傾向がもたらした、抑制を受けない描き方の流行の中で、彼はそのような、意志の働かない、目的のないようにも思えるやり方とは違ったものをつかもうとしていた。まわりの出来事とのコミュニケーションを通じて世界を把握しようとする意志がフォスには見られる。この作品には彼の目についた出来事、散歩する人や馬にのる人、ロデオの光景などが、奥行きのない平面に、落書きのような稚拙な線で描かれている。人々の会話も書きとめられている。抽象表現主義のように、画家の行為そのものを画面にぶつけるのではなく、そのような行為をいわば記号として書きとめることによって、フォスは、ものごととの距離を測り、そして、それらを直接に所有しようとしている。この作品は、フォスの所有する世界の見取り図なのだろうか。(友井伸一「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年10月17日掲載)
カテゴリー:作品
アンリ・ローランスとは?【 作家名 】 1885年フランスに生まれる。1954年没する。始めパリで装飾や彫刻の勉強をしながらロダン風の彫刻を作る。1911年、ピカソ、ブラック、レジェらと出会い、とりわけブラックを通してキュビスムを知る。パピエ・コレなどの実験的な制作を糧にして、キュビスムを彫刻に適用した草分けの一人としてリプシッツと共に評価されている。1913年と14年にアンデパンダン展に出品する。1921年から画商カーンワイラーが彼の作品を扱う。1925年、パリ装飾芸術博覧会でル・コルビジェ設計のパビリオンに出品する。この頃の彫刻には独特の彩色が施されている。1925年以降はキュビスムを脱して、有機的で自然主義的な形を創造しようと努めた。また彫刻のみならず絵画や挿絵、装飾の分野でも活躍する。1935年にはヘレナ・ルビンスタイン賞を受賞、49年にはブリュッセルのパレ・デ・ボザールで、51年にはパリの国立近代美術館で回顧展が開かれた。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||