1911年、ドイツの新芸術協会が
カンディンスキーの作品の出品を拒否したことをきっかけに、革新的な傾向の作家たちが集まり、展覧会を開くことになります。彼らのグループは「
青騎士」と名付けられます。そしてその翌年、
カンディンスキーと
マルクが編集、発行した、前衛的な芸術の年刊誌にも同じ名前が付けられます。20世紀初頭のドイツ美術は、視覚的な印象の再現ではなく、感情の表現を重視する、
表現主義の流れの中にありました。「
青騎士」は、さまざまな傾向を含み込みながらも、その理念を広めていったのです。