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むだい No.1074(P14) 無題
ポロックは、床に拡げた巨大なカンヴァス上で、身体を一杯に使って、棒や筆の先から絵具や塗料をまき散らす、ドリッピングという方法で制作したアメリカの画家である。大酒飲みだったポロックは、1956年、44才の時に自動車事故で亡くなり、派手でエネルギーあふれる作品を残して、第二次世界大戦後のアメリカの伝説となった。この作品は、彼がドリッピングを始める数年前の版画である。現実の物の形の痕跡を残さない、のちの巨大な作品とは違い、この作品は、例えば人間が向い合い、ダンスでもしているかのような印象を与える。画面では、今、まさにイメージがゆれ動きながらたちのぼっている。このような作品を見ていると、物のイメージが破壊されながらも、再び、新たに生成していく様が感じられる。さらにまた、小さな画面にポロックが託した個人的な感情まで、垣間見ることができるようで、楽しい。(友井伸一「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年08月02日掲載)
カテゴリー:作品
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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