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きゅびすむについて キュビスムについて
この本の初版が刊行された一九一二年は、キュビスム運動の全盛期。著者のグレーズとメッツアンジェは、同十二年にレジェやジャック・ヴィヨンらが結成したキュビスムの抽象化を推進するグループ「セクシオン・ドール(黄金分割)」のメンバーである。翌十三年には、英語版、ロシア語版が、十五年には日本語版(蘇武緑郎訳『キュービスム』向陵社)が出版されるほど広く普及した。二人は、画家でありながらキュビスムの理論的指導者としても目されるようになり、グレーズは、バウハウス叢書第十三巻として『キュビスム』(一九二八年)も著した。一九四七年に再刊された同書には、ピカソ、ブラック、レジェ、グリスら十一人の作家の版画が収録されている。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
レフラーとは?【 作家名 】 1874年ボヘミアのリベレツ近郊に生まれる。故郷リベレツの工芸美術館付属のデッサン学校で学んだ後、1890年よりウィーン工芸学校に在学、F.v.マッチュとC.O.チェシュカに師事。1900年、モーザーの専門課程を履修。1907年、チェシュカの後を引き継いで、工芸学校の絵画と版画のクラスで教鞭をとる(−1935年)。ミヒャエル・ポヴォルニーと共に“ヴィーナー・ケラーミック”(ウィーン陶器製作所、後にグムンデン陶器製作所と合併)を設立する。その製品は1907年以降ウィーン工房を通して販売されるようになる。同年「クンストシャウ」に出品。レフラーはウィーン工房において、ポストカードやコマーシャル・グラフィック、アクセサリー、陶器、衣装および挿絵などを担当するが、特に、ストックレー邸のタイル装飾やキャバレー・フレーダーマウスの室内装飾、衣装およびポスターの制作に重要な役割を果たしている。オーストラリア工作同盟およびキュンストラーハウスの会員。1960年ウィーンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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