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かべ 壁
ギュイルヴィック著。荒々しい筆触や厚塗りの画面によって戦後美術の原点となったアンフォルメル(非定形)運動の先駆者デュビュッフェ。これは、ギュイルヴィクの「壁」という詩に寄せた挿絵本。落書きを思わせる素朴な形態や、壁を引っかいたような線が特徴的である。その描線は、壁を引っかく時の物質の強い抵抗感を感じさせる。遠近感のないモノクロの画面上で、壁と人物は同化する。版画制作は、戦争の記憶が生々しい一九四五年。風雪に耐えて立つ壁に共感した詩人と画家の競作。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
与謝蕪村とは?【 作家名 】 現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。 |
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