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かべ 壁
ギュイルヴィック著。荒々しい筆触や厚塗りの画面によって戦後美術の原点となったアンフォルメル(非定形)運動の先駆者デュビュッフェ。これは、ギュイルヴィクの「壁」という詩に寄せた挿絵本。落書きを思わせる素朴な形態や、壁を引っかいたような線が特徴的である。その描線は、壁を引っかく時の物質の強い抵抗感を感じさせる。遠近感のないモノクロの画面上で、壁と人物は同化する。版画制作は、戦争の記憶が生々しい一九四五年。風雪に耐えて立つ壁に共感した詩人と画家の競作。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
北野恒富とは?【 作家名 】 金沢市に生まれる。本名富太郎。明治25年(1892)版下業の西田助太郎に彫版を学ぶ。明治30年北国新報社の彫刻部に勧めるが、退社して大阪に出る。翌年月岡芳年の弟子で日本画家の稲田年恒に師事し、浮世絵を学ぶ。その後梶田半古から新しい風俗画を学ぶ。明治34年大阪新報社に入社して挿し絵を描くが、明治44年第5回文展で3等賞を受賞する。大正元年(1912)大正美術会を設立。大正3年日本美術院再興とともに院展に出品、翌年大阪美術会を設立。大正6年日本美術院同人となる。美人画が得意で門下に中村貞以がいる。写生を基礎として恒富の美人画風俗画は、平明な親しさと余韻を持つ。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年) |
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