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笠置季男



カサット



カサリーノ1 子供用椅子 NO.2000/0/1



傘を持つ小人



カサ・フローレス伯爵夫人の肖像



カサーラ



カサーラヴェルケカールサッセゴウシガイシャ



飾り罫



飾り皿



崋山画鑑定書



カザーティ侯爵夫人



カザールシャ



橿尾正次



柏原覚太郎



梶原緋佐子



春日部たすく



カストナー



カスバの男






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おーとびおぐらふぃー

オート・ビオグラフィー

作家名:ソル・ルウィット
制作年:1980年刊
技 法:本
一九八〇年に出版されたソル・ルウィットの〈オート・ビオグラフィー〉。「自伝」である。とはいっても、ニューヨークのマンハッタンにある彼の自宅の様々な細部を写した写真がずらりと並んでいるだけ。壁や天井、家具、トイレ、アトリエの道具類、台所のフライパンや包丁、靴や衣類、植木、カセット・テープに写真、たばこに灰皿、そして本棚などなど。まるっきりの日常生活の断片。撮影の仕方も、日常生活の延長でメモ的に気軽に撮ったような感じである。いずれも、ほとんどが対象に近寄ったアングルからのものなので、一枚の写真を見ただけでは部屋全体の様子は分からない。文章や解説もない。ところが、正方形のページに縦横がそれぞれ三分割されてできた計九つのグリッド(格子)に、それらの写真がきちんと配置され、整然と並べられていると、意外と雄弁にアーティストの素顔のようなものを感じさせてくれる。ただ、そこに見える素顔は本当にソル・ルウィットのものなのだろうか。いや、言い換えればルウィットの素顔、人格とはそもそも明確な形で指し示すことができるものなのだろうか。作家の個性、人格、主体、そして他人に語りうる自分自身というものは、実はこの作品のように断片化したものの集まり、ボタンを押せば写っていたというような、あまり作為の感じられないスナップ写真の集まりに過ぎないのではないか。それらをかろうじて束ねているのは、社会的な関係や因習、政治的、思想的な共通体験、あるいは宗教的な信仰心であろう。唯一絶対の自己なんて存在せず、あるのは、時代が変わり環境が変われば異なったかたちに組み替えられてしまう断片だけだ。一九八〇年代の入り口にソル・ルウィットは、そっけないほどにあっさりとした体裁のこの本で、ポスト・モダンと呼ばれはじめた思想状況の核心を示してもいる。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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橋本雅邦とは?【 作家名 】

石見浜田藩主松平周防守の御用絵師、橋本養邦の子として、江戸に生まれる。養邦は、木挽町狩野家の狩野養信門下であった。幼名千太郎。狩野養信、雅信に入門。同門の狩野芳崖の帰郷後、弟子頭(塾頭)となった。万延元年(1860)に独立するが、幕末から明治維新の混乱期は、生活が困窮し、明治4年(1871)海軍兵学校に出仕。足かけ15年勤務する。明治15年(1882)頃から、内国絵画共進会などで受賞を重ね、フェノロサや岡倉天心の評価を得、鑑画会に参加。東京美術学校教授となり、天心のもとで、横山大観下村観山菱田春草などを育てる。明治23年(1890)帝室技芸員。明治31年(1898)には、天心に殉じて美術学校を退職し、日本美術院の創立に参加。主幹として院の運営をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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