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そうれつ(べとなむ) 葬列(ベトナム)
1960年代の半ばから、山下は自らの戦争体験や、当時泥沼化していたベトナム戦争について、積極的に発言するようになります。作品の主要なテーマとするようになり、「戦争展」や「反戦と解放展」と銘打った個展を開いています。この作品もその一点です。題名にあるとおり、ベトナム戦争で死んでいく兵士や民衆の死をイメージしています。山下の作品を 理解する場合、彼自身の戦争体験を避けて通ることができません。太平洋戦争中、山下は兵士として中国南部の戦線に送り込まれました。そこで筆舌に尽くし難い残虐行為を目にし、彼自身も上官の命令で手を下すことを強いられたといいます。しかし戦後になって、少数ながら上官に銃を突き替えした兵士がいたことを知り、がく然とした山下は「上官の命により、そうさせられたのだ、仕方のなかったことだと、自分に納得させることはできない」と語っています。そして、戦争を生み出し、自分を戦争へ追いやったものが何だったのかを、執拗(しつよう)に問い続けることになります。戦争、ひいては戦争を容認した社会構造の告発が、作品の主要なテーマに据えられるようになったのです。この作品には銃口や弾丸など、ベトナム戦争をイメージさせるものが描かれています。しかしそこには山下が中国で体験した戦争のイメージも重ね合わせていると思われます。がい骨の履物は日本の草履ですが、少し昔の日本では、棺(ひつぎ)を担ぐ人は草履を履くものとされていました。画面には第二次大戦で亡くなった日本兵の葬列のイメージも重ねられているようです。現地の人を苦しめ、一方では日本の若者たちも次々と死なせていった愚行が、再びベトナムの地で繰り返されている愚かさを訴えようとしたのでしょう。
カテゴリー:作品
バロックとは?【 美術用語 】 広義では16世紀末から18世紀初めまでの美術、文学、音楽等の様式や、時代精神を指す。美術においてはルネサンスの後にくるマニエリスムと、18世紀のロココの間にあたる。狭義ではベルニーニをその代表とする1630年頃のイタリアの建築、彫刻、絵画のことを指す。ルネサンスの成果である新しい科学技術によって、交通手段や情報伝達が発達したこの時代、人々の世界観は大きくゆらぎ始めた。古代ギリシア,ローマを模範とする考えはそのバランスを失っていく。しかし、なおかつ新たな統一を目指そうという傾向が生まれた。装飾過多であったり、形をゆがめたり、特定の瞬間に焦点をあてたり、線よりも面や光を重視したりする手法がとられるようになる。それらはおおむね、迫真性をもった劇的な表現を見せているが、この時代の精神の多岐にわたる現われ方は、けっしてひとまとめにできるものではない。この時代の作家たちとして、ベルニーニのほかに、カラヴァジオ、ルーベンス、レンブラント、フランス・ハルス、エル・グレコ、ベラスケスらがいる。 |
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