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わたしととりとおんがくと02.えびすまわし わたしと鳥と音楽と (2)恵比寿まわし
山下は「おんがくのほん」という絵本の挿絵を描いています。挿絵は全部で八点あり、順を追っていくと山下の半生をたどることのできる自叙伝となっています。この作品は冒頭から二番目。山下の出身地、三好郡井川町辻で過ごした少年時代の思い出を描いてます。戦前の辻の町には恵比寿まわしという正月の行事があり、家々を回ってくる人形遣いの人形に頭をなでてもらうと、願いがかなうといわれたということです。人形に手を差し出しているのが、少年時代の山下です。いうまでもなく、そのころ普通の男の子の願いは、軍人になることでんた。しかしここで山下が願っているのは画家になることです。画面の右下にはひげを生やした将軍の姿がありますが、その下には絵筆とパレットを手にして将軍の姿を描く画家の姿があります。ところでこの絵には、人形や少年の後頭部などに、奇妙な目が描かれています。山下の作品には、しばしばこのような目が登場し、画面の印象を複雑なものにしてます。山下によると、この目は少年時代に感じた大人の視線だということです。少年時代の山下は度の過ぎたいたずらを繰り返し、町の大人の注意を集めていました。道を歩くといたるところで大人の目が光っているのを感じたといいます。画面の背景には影のように人々の顔が描かれていますが、この人たちも山下を監視しているのかもしれません。もっとも、戦争中に物事の本質を見極める目を持っていなかったという反省の意味も込められています。山下は戦争中、出征先の中国で軍の残虐行為に加担させられたといいますが、その時の反省だというのです。山下が描き残した作品には、さまざまな形で郷里の記憶が投影されています。その中でもこの作品は最も端的に現れた一点といえるでしょう。
カテゴリー:作品
久米桂一郎とは?【 作家名 】 1866年佐賀県に生まれる。1874年父邦武とともに上京、1884年藤雅三について洋画を学び、1886年渡仏してラファエル・コランに師事、藤の招介で黒田清輝を知る。1893年帰国。翌年山本芳翠の生巧館をゆずりうけ、黒田とともに天真道場を開き、1895年第4回勧業博覧会に出品、妙技2等賞を授賞した。1898年東京美術学校教授となり、翌年パリ万国博覧会鑑査官として渡仏。1900年同博覧会の出品作3点で褒状をうけた。1904年東京高等商業学校教授を兼任。1920年東京商科大学予科教授を兼任し、1922年帝国美術院幹事となり、翌年仏政府より勲章をうける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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