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やねのみえるふうけい 屋根の見える風景
粘りけのある絵具を短い筆致で積み重ねた表現は、明瞭にゴッホへの関心をうかがわせる。この作品を指してはないが、里見勝蔵は1928年の第3回1930年協会展出品作をゴッホ風と評し、間部時雄は1930年の第7回白日会展の展評で「靉光氏は以前ゴッホ調であった」とする。この作品は、靉光がゴッホに傾斜していた時期の唯一の作例といえるだろう。(「靉光 揺れ動く時代の痕跡」図録 1994年)
カテゴリー:作品
間部時雄とは?【 作家名 】 1885年熊本県に生まれる。1902年京都高等工芸学校図案科別科に入学、1905年同校を卒業、同窓の霜鳥正三郎とともに母校の助教授となる。その後、1906年の関西美術院設立に参加して指導に当たる。1919年から1925年にかけてヨーロッパに留学するが、帰国後は東京に移って、1927年の第4回白日展に滞欧作を発表。また1930年洋風版画協会創立に参加し、1931年からは日本版画協会会員となり、帝展などにも作品を発表。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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