![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ぐらじおらす グラジオラス
作品の裏には旧所蔵者による次の書き込みがある。「昭和7年10月宮様御下賜酒有料ニテ」。これはこの作品の制作年代の下限を知る材料となる。またこの作品に近い画風を示す作品「チューリップとかたつむり」の裏には、「1932.6.15.靉光」と献呈の日付が書き込まれている。これらのことから、1932年頃の制作と考えているのではないだろうか。なおこの作品と図柄が近い「グラジオラス」は従来1943年の制作とされてきた。しかしこの制に年代も見直す必要があるだろう。(「靉光 揺れ動く時代の痕跡」図録 1994年)
カテゴリー:作品
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||