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すんしゅうかしわばらふじず 駿州柏原富士図
江漢は、油彩画や銅版画の材料や技法を研究することで、東洋とは異なった西洋絵画の物の見方を修得してきた。その成果が、彼の洋風画である。そうして得た表現を、日本絵画の材料と題材に置き換えたとき、画面にどのような変化がおこったのか。晩年に描かれた<駿州柏原富士図>は、田子浦付近の入り江と遠く広がる田園のかなたに富士山がそびえるようすを表している。ここには、油彩画のように塗り込めるようにして描いて実体感をつくるのではなく、簡潔な筆触と墨の濃淡や淡彩で表した遠近感と空間がある。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
バルビゾン派とは?【 美術用語 】 パリの東南、フォンテーヌブローの森の北西にある小村バルビゾンを、1830年頃からテオドール・ルソーやコローら若い画家たちが訪れ、風景を描いていた。そして、1835年のルソーに続いて、ミレー、コロー、トロワイヨン、ドービニー、デュプレらが、1840年代にかけて相次いで移住し、風景画を描くグループを形成した。この集団をバルビゾン派というが、それぞれ独自の画風をもっており、ミレー、コローなど、同じバルビゾン派としてひとまとめにするのが難しい作家もいる。しかし、おおむねコンスタブルやボニントンらのイギリスの風景画や、17世紀オランダの風景画からの影響が強い。当時、一般的となっていたイタリア旅行もせず、主にバルビゾンで制作した彼らにとって、自然は、ほとんど崇拝の対象に近いものであった。また、風景それ自体に興味を示し、古典的な規範に反抗するその態度は、当時としてはかなり革新的なものであった。すぐ後に続く写実主義や、印象派に与えた影響も少なくはない。 |
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