![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ひぽくらてすぞう ヒポクラテス像
この作品は、西洋医学の祖とされてきた古代ギリシャの医者ヒポクラテスを描いたものである。画面上部には、シーボルトとされる「Dezima den 15 Sioguats Anno 1825 Dr. von Siebold」という題字がある。<紅毛婦人図>と同様に、絹に墨を用いて描かれた写実的表現の作品だが、筆のストロークが際だっている。墨線を平行に描き重ねることで、明暗をつくる表現は、同時代の水墨表現にも例が見られる。だが顔の表現などに注目すると、基となった図像が銅版画であり、そのニードルによる線に対応したものと考えることができるだろう。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
マルクスとは?【 作家名 】 1889年、ベルリンに生まれる。1908−12年、ベルリンの芸術家リヒャルト・シャイデに絵画を学ぶ。1919−25年、バウハウスのマイスターとして指導にあたる。20年からはドルンブルク陶器工房の形態マイスターとして活動。1925−33年、バウハウスを去り、ハレ郊外ブルク・ギービッヒェンシュタイン工芸学校で彫刻を指導する。30年からは校長になる。1937年、ベルリンに戻るが、作品発表が禁止される。1946年、ハンブルク州立芸術学校教授となる。1950年、ケルンに住み、54年にノルトライン=ヴェストファーレン芸術大賞を受賞。以後各地で回顧展が開催されるようになる。1981年、ブルクブロールで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||