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へいすてるぞう ヘイステル像
<ヘイステル像>は、オランダの医学書に掲載された肖像画を模写したものであろう。右下には、「Door Van Dijk」の落款があり、フランドルの画家ヴァン・ダイク(Antoon van Dyck 1599-1641)を意識している。西洋の画家に自らを擬しながらも、絹本と毛筆を用いて細密な銅版画を模写するとき、忠実に描きながらも写しきれないところがある。本図では、銅版画の細線が集まってつくられる明暗が、濃淡に置きかわっている。広い面に墨をおくとき、物理的で平坦な色面ではなく、淡く彩色を重ねることで奥にある空間を暗示する表現になっている。西洋と東洋絵画の間にある画材の違いは、このときから大きな問題であった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
ブーシェとは?【 作家名 】 18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。20歳でアカデミーの大賞を獲得。その後イタリアに遊学。ここでベネチアの絵画に深い感銘を受ける。帰国後、アカデミー会員となる。後に会長に就任し、ヴェルサイユにおいては、ルイ15世の主席宮廷画家となって、ポンパドゥール夫人の絵画教師もつとめた。彼の芸術活動は実に幅広く、ヴェルサイユ宮の装飾、タピスリーやセーヴル陶磁器のデザインのほか、オペラ座の舞台デザインをも手がけた。絵画においては永遠の女性ヴィーナス礼賛こそ彼の一生を賭けたモチーフであった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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