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へいすてるぞう ヘイステル像
<ヘイステル像>は、オランダの医学書に掲載された肖像画を模写したものであろう。右下には、「Door Van Dijk」の落款があり、フランドルの画家ヴァン・ダイク(Antoon van Dyck 1599-1641)を意識している。西洋の画家に自らを擬しながらも、絹本と毛筆を用いて細密な銅版画を模写するとき、忠実に描きながらも写しきれないところがある。本図では、銅版画の細線が集まってつくられる明暗が、濃淡に置きかわっている。広い面に墨をおくとき、物理的で平坦な色面ではなく、淡く彩色を重ねることで奥にある空間を暗示する表現になっている。西洋と東洋絵画の間にある画材の違いは、このときから大きな問題であった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
鈴木松年とは?【 作家名 】 京都に鈴木百年の長男として生まれる。通称百太郎。百僊と号したが、のちに松年と改号。東錦僂主人、老龍館主人の別号がある。父に学ぶ。明治13年(1880)京都府画学校に出仕。翌年、百年の後任で北宗科教員となった。第一回内国絵画共進会で褒状を得たのをはじめ、同展で、銀章、妙技三等など受賞を重ね、また、内国勧業博覧会、日本美術協会展、新古美術品展、シカゴやパリの万国博覧会などで活躍した。初期の上村松園や土田麦僊が、一時、松年に学んでいる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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