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ふぁん・ろいえんかちょうずもしゃ ファン・ロイエン花鳥図模写
彼は、中国の宗、元、明、清の諸流派、狩野派、土佐派、琳派、あるいは円山四条派や北山寒巌とともに学んだ洋風画など、さまざまな表現を吸収している。文晁の八宗兼学である。このような諸派の折衷を認める姿勢が、東洋の伝統とは違う西洋画法を取り入れるうえで重要な要素となった。<花鳥図模写>は、オランダの作家ウィレム・ファン・ロイエン(Willem Van Royen 1654-1728)の模写である。原画は、将軍家御用品として発注されたもので、オランダから日本に舶載され、後に本所五百羅漢寺に寄贈された。文晁の西洋絵画摂取の姿勢をうかがうことができる作例である。同じ原画からの模写として、石川大浪、孟高による作品も残されている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
北山寒巌とは?【 作家名 】 長崎の帰化人の末裔で、江戸麻布に生まれる。唐姓を馬、諱を孟煕、俗称を権之助といった。父の道良(北山太郎)に絵を学び、漢画をよくした。寒巌は、幕府の与力となるが、蘭学者と交流し洋風画も描く。江戸参府のオランダ人にオランダ語と洋画を学び、樊泥亀(ヴァン・ダイク)という名を与えられたと伝えられている。平賀源内の門人森島中良の『ヨンストン動物図譜』や『万國新話』のなかに挿図を描いた。谷文晁は、西洋画の技法を寒巌とともに学び吸収したといわれる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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