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しょしゅうたきざるず 初秋瀧猿図
狙仙は、現実味あふれる猿の表現で独自性を発揮し、さまざまな姿の猿を描きだした。そして、その狙仙が生みだした猿の表現が、森派の得意とする題材として受け継がれていく。たとえば、<初秋瀧猿>の腰を下ろした猿が流れる瀧を見上げる場面は、甥の森祖雪に似かよったものがあり、狙仙自身も、同一のポーズで飛ぶ蜂を見る猿を描いている。江戸後期の京都画壇では、狩野派の画法にあきたらない画家たちが独自の表現を築くが、新たな流派を形成して、題材や様式を受け継いでいく傾向があった。森派もそうである。しかし、猿をリアルに描こうとする傾向は、明治に至るまで、写実的表現を試みるためのひとつの題材として用いられたことも事実であろう。<初秋瀧猿>は、狙仙の墨書があることから、60歳以降の作品と考えられる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
ロートとは?【 作家名 】 はじめ彫刻を学ぶが、パリにでてキュビスム運動に参加する。ピカソらの破壊的なキュビスムにたいし、古典技法も取り入れてリズム感のある穏健なキュビスムを展開した。キュビスムの嵐が去った後もそれを継続した。教育者、評論家としても活躍する。当時、日本の二科会の在外会員でもあり、大正末期から昭和初期に、パリに渡った作家たちも含め日本の作家が、彼から学んだ点も多いと言われる。 |
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