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のだ きゅうほ 野田九浦
1879年東京都に生まれる。父は旧舞鶴藩士。本名道三。1883年(明治16)一家で北海道函館に転居。地元で作画の手ほどきを受けたのち、来遊した寺崎廣業にともなわれて1895年上京し、廣業の画塾に学ぶ。翌年東京美術学校日本画科選科に入学するが、1898年の東京美術学校騒動に際して同校を退学、日本美術院研究生となる。また、廣業のすすめで白馬会研究所に通い、人体デッサンなども学ぶ。1899年第6回日本絵画協会共進会に入選して、2等褒状を受賞。1907年の第1回文展で2等賞を受賞、第5回展、第7回〜10回展でいずれも褒状を受け、第11回展では特選となる。以後、官展を主な活躍の場とした。1947年(昭和22)帝国美術院会員となる。その画風は、はじめ寺崎廣業の師風を色濃く反映したものであったが、大正期に入り、しだいに浪漫的なものから自然主義的なものへと変化をみせた。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)
カテゴリー:作家
レリーフとは?【 美術用語 】 浮彫り(うきぼり)。平面を彫り込み、あるいは、平面上に形を盛り上げて肉付けした彫刻。彫り出された部分の肉の厚い高肉彫(厚肉彫、高浮彫)と、肉の薄い薄肉彫(浅肉彫、浅浮彫)がある。これらはともに陽刻(モティーフが彫囲より浮き上がらせて表わす技法)であるが、古代エジプトの沈め浮彫りや、肉合彫り(ししあいぼり)、インタリオなど陰刻(モティーフを地の面より彫りくぼめて表現する方法)によって、平面に起伏を与える技法もあり、また彩色される場合も多い。三次元の典型的な彫刻様式である丸彫り(対象を完全に三次元で構成し、全方向から見ることのできる立体表現)に比べて、絵画に接近した二次元的な彫刻といえる。特に薄肉彫においては、薄肉のうちに物体の厚みと奥行の深さを暗示するという独特の技術が必要とされる。浮彫りから派生し、類推して、平面上に凹凸、起伏を与えた造形表現全搬を指してレリーフということもある。また、絵画において物の厚みや奥行きを立体的に表現することをいう。 |
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