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のだ きゅうほ 野田九浦
1879年東京都に生まれる。父は旧舞鶴藩士。本名道三。1883年(明治16)一家で北海道函館に転居。地元で作画の手ほどきを受けたのち、来遊した寺崎廣業にともなわれて1895年上京し、廣業の画塾に学ぶ。翌年東京美術学校日本画科選科に入学するが、1898年の東京美術学校騒動に際して同校を退学、日本美術院研究生となる。また、廣業のすすめで白馬会研究所に通い、人体デッサンなども学ぶ。1899年第6回日本絵画協会共進会に入選して、2等褒状を受賞。1907年の第1回文展で2等賞を受賞、第5回展、第7回〜10回展でいずれも褒状を受け、第11回展では特選となる。以後、官展を主な活躍の場とした。1947年(昭和22)帝国美術院会員となる。その画風は、はじめ寺崎廣業の師風を色濃く反映したものであったが、大正期に入り、しだいに浪漫的なものから自然主義的なものへと変化をみせた。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)
カテゴリー:作家
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新古典主義とは?【 美術用語 】 18世紀後半から19世紀初頭にかけてヨーロッパ中に広まった古典古代(ギリシヤ・ローマ)の復活を目指した美学上の運動や、建築、彫刻、工芸の各ジャンルにわたる美術の様式を指す。考古学的正確さへの強い感心と合理的美学に支えられた古代的モチーフの多用や、完成された表現を特徴とする。ヘルクラーネウムやポンペイの発堀、ギリシアや小アジアへの調査旅行によって、古代への関心が高まり、ヴィンケルマンが著した『ギリシア美術模倣論』などの美学上の影響によって、18世紀後半には支配的な傾向となった。代表的画家はラファエル・メングスだが、ラファエロ,コレッジオ,ティツィアーノや古代美術の作品に基づいて、グランド・マナー(大様式)と呼ばれる様式を生み出し、影響力を広げた。絵画の分野で最もすぐれた成果をみせたのはダヴィッドで、それをアングルが引き継いだ。新古典主義は、19世紀のアカデミズム芸術の基本原理として長く生き続けたが、同時に、遠い古代や異国に対する憧れと官能的なものへの傾斜により、ロマン主義芸術の先駆にもなった。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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