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ぶこうかほさんすいず 撫江稼圃山水図
江嫁圃に倣った作品である。江嫁圃は、文化元年(1804)に来日した清の画家で、浙江省の人。中国ではほとんど知られていないが、南宗山水の形式を日本の画家たちに伝え、来舶四大家の一人といわれている。海屋の師、鉄翁も江嫁圃に学んだ。この作品は、横長の墨点を並べる米点を用いて描くなど、南宗水墨画の技法に倣って描こうとしている。当時の南画家たちは、文人画の名品を目にすることが難しく、来日した清の画家や出版物によって学び、多様な傾向を吸収していった。本図も、江嫁圃の表現に触発されながら、比較的自由に自己の表現と結びつけていったものと考えられる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
ルノワールとは?【 作家名 】 1841年フランスに生まれる。1862年エコール・デ・ボザールに入学し、ここでモネ、シスレーらと知り合う。ドラクロワやクールベの影響を受けた制作を経て、1869年からモネと印象派の技法を試みる。1874年第1回印象派展に「桟敷席」他7点を、76年第3回印象派展には「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を出品する。1880年代にはアングルやラファエロに影響され、明確なデッサンと寒色を基調とした作風の時代に移行する。1890年ごろより、もとの作風に戻り、裸婦や肖像を主として制作。豊満で量感に富む独特の画境を開く。1903年から彫刻も手掛ける。1906年よりカーニュに居を定め、1919年に同地で没した。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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