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たかがりず 鷹狩図
これは、鷹狩のようすを描いたものだが、風景が俯瞰的にとらえられている。近景の池から、木々や小山を通して田圃が遠方まで広がるようすには、西洋の遠近表現も取り込まれている。流派の伝統だけにとらわれず、東西の幅の広い表現を取り入れるなかで溶け込んだ新しい視覚の表現といえるだろう。狩野家の当主をつとめながら、同時代の新しい傾向に無関心ではなく、西洋絵画の影響を受けた表現を部分的とはいえ、自己の表現に取り入れはじめていたことを示している。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
川上冬崖とは?【 作家名 】 1827年長野県に生まれる。江戸に出て大西椿年に学び岸太郎と称する。蕃書調書に入り、絵画取調出役、画学出役となって洋画法を研究し、後進を指導。明治維新後、大学南校(東京大学の前進)、文部省、陸軍兵学寮、陸軍参謀局に勤める。第1回、第2回内国勧業博覧会美術部の審査主任。1870年下谷に私塾聴香読画館を設けて青年たちに西洋画法を教える。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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