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 作家(1701)

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たかがりず

鷹狩図

作家名:冷泉為恭
制作年:不詳
技 法:絹本着色
為恭は、安政2年(1855)に新造された小御所に襖六面を描き評価を得た。<清涼殿十月更衣><冬の枯田><鷹狩>の三図である。本図は、曲水宴図襖と対になって描かれたものだが、鷹狩図は小御所のものとほとんど同様の図柄となっている。大和絵が本来持つ濃厚な色彩を生かした華やかな表現であり、為恭の古法修得の成果を見ることができる。為恭が古画を修得した方法は、狩野派のように粉本を用いず、公家や大名、寺社を訪ね直接模写し学ぶという形をとった。それは、流派の枠組みを越えて、古典の価値を再発見する過程を含んだ極めてシスティマティックで近代的性格を持つ修得方法であったといえる。いずれにしろ、為恭らが思想的意味づけをつけ加えながら復興した大和絵の様式は、日本「独自」の表現として明治の時代に再編成され、近代「日本画」のなかに取り込まれていった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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冷泉為恭とは?【 作家名 】

京狩野家の画家、狩野永泰の三男として生まれる。狩野永岳は、叔父にあたる。父の没後、冷泉三郎為恭と称し、蔵人所衆岡田出羽守為純の養子となってからは、岡田姓を名乗った。父について狩野派の画法を学んだが、あきたらず、復古大和絵の研究を行った。有職故実は、青年時代から詳しかったといわれる。右大臣三条実萬の推挙で御所出仕となり、小御所の襖絵を制作。京都所司代、酒井家所蔵の古大和絵の臨模を行うなど酒井家との交流をもったことや、徳川家ゆかりの岡崎にある大樹寺の襖を描いたことが、勤皇派から反感を買い惨殺された。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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