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たかがりず![]() 鷹狩図 ![]()
為恭は、安政2年(1855)に新造された小御所に襖六面を描き評価を得た。<清涼殿十月更衣><冬の枯田><鷹狩>の三図である。本図は、曲水宴図襖と対になって描かれたものだが、鷹狩図は小御所のものとほとんど同様の図柄となっている。大和絵が本来持つ濃厚な色彩を生かした華やかな表現であり、為恭の古法修得の成果を見ることができる。為恭が古画を修得した方法は、狩野派のように粉本を用いず、公家や大名、寺社を訪ね直接模写し学ぶという形をとった。それは、流派の枠組みを越えて、古典の価値を再発見する過程を含んだ極めてシスティマティックで近代的性格を持つ修得方法であったといえる。いずれにしろ、為恭らが思想的意味づけをつけ加えながら復興した大和絵の様式は、日本「独自」の表現として明治の時代に再編成され、近代「日本画」のなかに取り込まれていった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
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カテゴリー:作品
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