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南仏のアニス酒「フェリ45」



鳰沼



二月の頃



ニクソン



西常雄



西雅秋



西垣籌一



西沢笛畝



西のはて



西村五雲



西村龍介



西山翠嶂



西山英雄



虹の女神 II



ニジンスキーの野兎



日刊紙「山」(ラ・モンターニュ)



日記1987年5月30日、柏市、亀甲台、2-12-4



ニック



新田越後守義顕決戦之図



日本庭園のサラ・ベルナール


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ゆだ ぎょくすい

湯田玉水

1879年福島県に生まれる。本名和平。高等小学校を卒業して21歳まで農業に従事する。日露戦争に出征し、帰国後画家を志して上京する。はじめ川端玉章に学ぶが、円山四条派の画風にあきたらず、南画を学ぶ。1915年(大正4)第9回文展に初入選し、第10回、第12回展に出品した。1922年第2回日本南画院展に同人として出品。 1927年(昭和2)第8回帝展帝展委員として出品、第9回帝展に無鑑査出品した。南画のもつ伝統的筆法から離脱せず、むしろその画法を継承することで画業の完成を志向した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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文展とは?【 美術用語 】

文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。

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