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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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しんまちばしわたりぞめず

新町橋渡初図

作家名:守住貫魚
制作年:1864年頃
技 法:絹本着色
幕府や藩主が、自己の領地やさまざまな風景を、「真景」として描かせる傾向が19世紀になると各地で認められる。貫魚に多くの実景を描かせた藩主、斉昌もその一例となるだろう。そのため、貫魚の画風は、住吉派の大和絵に基礎をおく表現と写生の表現が並立して表れ、またある時は、融合したものになっていく。<新町橋渡初図>では、写生的表現が住吉派の色彩や彩色法などと溶け合って、架け替えられた新町橋を中心とした徳島城下のようすを描きだしている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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守住貫魚とは?【 作家名 】

1809年阿波(現徳島県)に生まれる。1892年没する。徳島藩士の子として生まれた。旧姓庄野。のちに守川、さらに住吉派を守る意味で守住と称した。字は士斎、通称徳次郎。伸美、輝美、定輝とも号した。別号に是姓斎、回春斎、寄生軒などがある。徳島藩の絵師で住吉派の渡辺広輝に学び、後に江戸で、住吉広定に師事。蜂須賀家に仕え、藩命で、畿内から北陸、信州、関東、さらに東海道を旅し、各地の風景を写生。また、江戸一橋徳川家御殿、京都御所紫寝殿の障壁画の制作に、住吉派の絵師として加わった。明治維新後は、大麻彦神社などの神官をつとめたが、大阪に移住。内国絵画共進会などで受賞を重ねるとともに、浪華画学校の設立に尽力した。明治宮殿造営に際しては、杉戸絵を制作し、明治23年(1890)帝室技芸員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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