![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ふようくじず 芙蓉狗児図
奇岩と芙蓉の組み合わせや、緑のなだらかな土坡と後方より流れ来る川、あるいは砂子による霞の表現を見ると、江戸後期の狩野派の表現にならったものと考えることができる。たとえば、土坡の上に描かれた狗児と鳥たち、奇岩を桜などにそれぞれ替えれば、狩野惟信に似かよった作品<四季花鳥図屏風>(板橋区立美術館)がある。また彼には、同じ奇岩に芙蓉を配した屏風、<花鳥図>(埼玉県立近代美術館)が残されている。本図に認められる勝園雅邦と同じ落款の作品が、幕末期にあることから、「木挽町画所」に知られている、雅邦の修行時代を伺うことのできる作品と考えることができる。明治維新直後の木挽町の大火で類焼し、雅邦はすべてを失っている。雅邦の初期の作品は、あまり知られていないが、そのなかで風炉先屏風に描かれた本図は、貴重な存在といえる。フェノロサや天心と出会うことで、日本絵画の「近代化」の本流を歩くことになる雅邦の、画業の出発点を知ることができる作品である。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
ベルガーとは?【 作家名 】 1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||