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きくかさいすうず 菊花彩雛図
花鳥画を得意とした画人で、鮮やかな色彩を用い、牡丹や菊、孔雀、水禽などなどを華やかに構成した作品を描いている。南蘋派の影響も見られ、細密に描き込んだ装飾的な表現に、明治の杉谷雪樵、滝和亭、荒木寛畝につながる要素を見いだすことができる。鶏と雛、菊が描かれた本図は、中国の吉祥図の画題を写したものと考えられる。代表的なものに比べると略筆だが、江戸の文人画系統の作家が持つ写実性と装飾性が、明治初期や中期の表現にどのように受け継がれていくのか、その間に位置する作家の表現として見ることができる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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