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ぐんぎょず 群魚図
楳嶺は、円山派から四条派に流派を移り、二つの流派が持つ多様な表現を身につけるだけでなく、中国絵画や日本の南画、あるいは浮世絵や洋画にも関心を示し、自己の表現のなかに取り込んでいった。後に、弟子の竹内栖鳳が折衷様式で「鵺派」と批判されるが、楳嶺のなかに、すでにさまざまな流派を受け入れることのできる素地があったといえる。<群魚図>は、水流の表現や魚たちの丹念な描写など、円山四条派の伝統にもとづきながら、写実的に展開させたものである。写生を、西洋画法や写真的視覚による即物的な描写とせず、自己の流派の伝統に溶けこませて、新しい時代に対応させようとしている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
モーリス・ドニとは?【 作家名 】 フランス、グランヴィルに生まれる。パリに出てアカデミー・ジュリアンに学び、ボナール、ヴュイヤール、ランソン、セルジェらと交友する。ポンタヴェンでゴーギャンの影響を受けて結成された、ナビ派の第1回展(1891年)に参加する。セザンヌへの傾倒も強く、作品テーマに「セザンヌ礼讃」(1900年)や「セザンヌ訪問」(1906年)がある。イタリア、ドイツ、スペイン、モスクワ、アルジェリア、アメリカ、カナダと旅行し、特にイタリアでは信仰と美の合致を見出す。宗教画や装飾画も手がける。1920年には国立美術協会宗教芸術部の副部長となる。装飾的、象徴的画面構成に特色がある。また美術理論家としても重要である。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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