ぐるぐるアートワード
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カーナヴォン城の眺め



カーネーションと茄子



カール



カールドプワル



カーン



カーン



外光派



外出前



ガイリンク



楽屋風呂から



学校机



学校机



学校机と椅子



ガドゥー



ガボ



ガラガラ蛇の玉



ガラスの星



ガラス窓の為のデザイン



ガリス



ガルガーリョ


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かんこうばんりず

寒江萬里図

作家名:富岡鉄斎
制作年:1873年
技 法:紙本金地墨画
<寒江萬里図>は、38歳のときの作品である。この年の12月、鉄斎は、愛媛県松山に旅行している。前年に結婚したハル(通称春子)の故郷(愛媛県浮穴郡串村−現伊予市)を訪ねる旅でもあった。本図は、その折りのものである。小舟が浮かぶ冬の川を、両岸の風景とともに描きだしている。江戸時代から、文人画家は各地を歩き実景を描いてきたが、鉄斎は、明治に入ってもそれを引き継ぎ、活発に制作した。このような文人画家の真景図は、実際の風景によって呼びおこされた感興を画室で描くことが多く、現地で制作されたものとは限らない。しかし、それだけに、画家の感動や個性とともに、歩いて体験した距離感やスケール感を、より明瞭な形で表すことができる。この作品で鉄斎は、中国の絵画に学んだ表現を、四国の風景に当てはめ、広大なものとして描きだしている。ちなみに、翌年の明治7年(1874)3月には、徳島を訪れている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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小田海僊とは?【 作家名 】

1785年周防(現在の山口県)に生まれる。1862年没する。名は瀛、字は巨海。通称良平、南豊とも号した。下関で育ち、京都に出て、四条派の呉春に師事した。呉春の没後、長崎など九州を遊歴し、中国絵画を学び、南画を描いた。頼山陽、田能村竹田、浦上春琴などの儒者、漢詩人、画家などと交流。文政7年(1824)萩藩毛利家の御用絵師となるが、2年後、修練のため京都居住が許される。『海僊画譜』『十八描法』などの画譜を刊行。晩年は、京都画壇を代表する画家のひとりとなった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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