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さいそうず

採桑図

作家名:富岡鉄斎
制作年:1895-1904年頃
技 法:紙本墨画
本図は、鉄斎が所蔵していた明代の農書の口絵を参考にして描かれたものである。中国の農民たちが、桑をとるようすを水墨で描いた作品だが、もとの表現を越えた生気あふれる大画面に仕上げられている。中国の明清絵画に学んだ画法は、60歳代頃から、近代の文人画とも呼び得る鉄斎独自の個性的な表現に消化されていく。本図に見られる自由な筆法も、その表れと言えるだろう。画面左下にある賛の大意は、「身体中に美しいうす絹の衣をまとっている人は蚕を飼う人ではない」というものである。鉄斎は常々、自作には典拠があるので、まず賛を読んでから画を見ることを望んでいた。鉄斎は、本図の人物表現を、この警句とともに味わうことを求めている。(参考文献)作品解説「生誕150周年富岡鉄斎」展図録 京都市美術館 京都新聞社 1885年P.78(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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富岡鉄斎とは?【 作家名 】

京都に法衣商十一屋伝兵衛、富岡維叙の次男として生まれる。はじめ、猷輔を通称とし、のちに道昴、道節と称した。一時、鉄斎を名としたが、百練を戸籍上の名とし、字を無倦、号を鉄斎とした。別号は多い。幼い頃より、国学、儒学、詩文、陽明学や仏教など、幅の広い学問を修めた。20歳頃には、歌人の大田垣蓮月の学僕となっている。絵は、大角南耕に手ほどきを受けるが、小田海僊や浮田一●(いっけい)らを訪ねたり、長崎で木下逸雲らと交流し、明清絵画にも触れるなど、主に独学で修行をはじめた。明治維新後は、奈良の石山神社や大阪の大鳥神社などの神官をつとめながら、「万巻の書を読み万里の路をゆく」文人生活をおくり、全国を行脚。46歳のとき京都に居を定めた。以後、89歳で亡くなるまで、文人生活を貫きながら制作を続け、明清絵画、南画を軸に、大和絵、琳派、浮世絵など日本絵画の多様な表現を、自己の表現のなかに取り込んでいった。さらに晩年期は、明治末、大正期の新しい気風にも反応して、それらを融合した独自の表現をつくりだした。明治19年(1886)京都青年絵画研究所の品評員となるなど、展覧会の審査員をつとめるが、学者としての立場から出品はしなかった。大正6年(1917)帝室技芸員、大正8年(1919)帝国美術院会員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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