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版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉2. バルトロマイ 波流戸呂舞の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉3. アルバヨの子ヤコブ 或婆夜の子 屋仔舞の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉4. ヨハネ 世跳の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉5. ペテロ 遍天呂の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉6. アンデレ 案出禮の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉7. トマス 登増の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉8. マタイ 馬鯛の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉9. マフテヤ 摩手也の柵



版画集〈11人のポップ・アーチストII〉4. 夢想



版画集〈11人のポップ・アーチストII〉11. タバコ・ローズ



版画集〈壁〉パラシュートのある壁(表紙)



版画集〈壁〉壁と人間 扉



版画集〈壁〉1. 絵解きの壁



版画集〈壁〉2. 鳥のいる壁



版画集〈壁〉3. 壁のなかで動けなくなった人間



版画集〈壁〉4. 壁のあいだを通り抜けている



版画集〈壁〉5. 壁の前のダンス



版画集〈壁〉6. 口ひげを生やした人のいる壁



版画集〈壁〉7. 人間と壁



版画集〈壁〉8. 壁の前で用を足す人たち


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くじゃくず

孔雀図

作家名:荒木寛畝
制作年:1890年
技 法:絹本着色
幕末から明治初期にかけて、洋画に転向した画家があらわれたが、寛畝も油彩画を川上冬崖などに学び、一時は、五姓田芳柳、高橋由一と並び称されるほどの存在になった。西洋絵画の視覚と技法を修得した画家が、在来の材料によってどのような表現をうみだしたのか。西洋絵画の視点とともに、その視点で選ばれた在来の表現が、新しい「日本画」のなかに取り込まれていった。この、明治23年(1890)の内国勧業博覧会に出品された<孔雀図>の実在感はその優れた実例といえるだろう。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


カテゴリー:作品
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荒木寛畝とは?【 作家名 】

1831年江戸に生まれる。1915年没する。旧姓田中、幼名光三郎。文晁系の画家荒木寛快の門に入り、後に養子となる。山内容堂の知遇を得、土佐藩の絵所預となる。明治5年(1872)には、ウィーン万国博覧会で受賞。容堂の没後、洋画を学びそれに専念。その後、日本画の制作にもどり、内国勧業博覧会や日本美術協会、またシカゴ、パリ、セントルイス万国博覧会など内外の展覧会で受賞を重ねた。明治31年(1898)、橋本雅邦の後任として東京美術学校教授。明治33年(1900)には帝室技芸員となる。内国勧業博覧会などで審査員を歴任する他、文展が開設されると審査員をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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