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かちょうのず 花鳥之図
岩肌の水墨の表現などに、杉谷家が伝えてきた漢画の影響が認められるが、他の部分では家伝よりも後に学び取り入れた要素が強い作品と考えられる。細密な孔雀や花々、背景の様式化した滝や葉など、円山・四条派による写実的要素、あるいは写真の視覚に対応した試みなど、いくつかの要素を漢画の表現と組み合わせたものと思われる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
杉谷雪樵とは?【 作家名 】 雲谷派を代々伝える熊本藩士杉谷家に生まれる。幼少時から絵画を学び、雪舟をはじめ玉潤、夏珪の山水人物、呂紀、徐煕の花鳥など北宋系漢画を研究。安政年間、江戸に出て8年間藩務に忙殺された後、熊本に帰り再び制作を続けた。明治10(1877)年西南戦争で家に伝わる粉本などを失うが、明治20(1887)年に上京。旧藩主細川侯爵家の邸内に住み画業に専念した。細川邸の新築にあたって障壁画を制作。また、明治26(1893)年のシカゴ・コロンブス世界博覧会に出品した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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